ダイちゃん脱退後の不安
基本的に、今のクラフィというバンドは僕が曲の原型を持って行き、
みんなでああでもないこうでもないと試行錯誤してアレンジして行くというスタイルだ。
だから僕なんてコード(和音)進行と歌のメロディ(歌メロ)を持って行くだけだ。
歌いたいメロディを持って行けば、みんながアレンジしてくれる。
ああ、なんて楽なんでしょ(笑)
一人じゃ素晴らしい曲を作るのは難しいような気がする。
正直、僕が書いたコード進行とメロディなんて自分が行きたい所に行くだけだし、
そのまんまだととってもつまらないものな気がする。
自分特有の癖があるから。
新鮮さにかける!
つまらん!
最近、【サヨナラ】という曲が人気だ。
昔から、好きだと言ってくれる人が多かったけど、
最近特に対バンの方から支持があったりするから嬉しい。
同じ音楽をやってる人に受け入れられるって心強いものだ。
【サヨナラ】は元々、ダイちゃんが持ってきたコード進行に、
当時僕の頭の中にずっと流れていたメロディが見事にハマったのだった。
かつ、そのコード進行に釣られて新しいメロディが生まれる。
これって、結構すごいって思った。
だって、このコード進行って、僕からは出て来ないものだから。
自分の歌がこういう感じで行きたいからって、
コード進行をいじる。
混ざり始めた音。
コード進行を変え過ぎてダイちゃん色が消えてしまわぬように、
何気に気を使ってみた(笑)。
いや、僕何気に結構みんなを尊重するんですよ。
僕が歌いたいメロディを歌うように、
メンバーだって気持ち良い音出してプレイしてもらうのがやっぱり理想だ。
なるべくストレスは持ってもらいたくない。
バンドってのは本当にバランスが重要だ。
なんとなく担当が決まっていたり(曲作り、営業、清算、フライヤー作り etc...)
性格的なものとか、曲とか、バンドスタイルにみんなのカラーが融合して出来上がってく。
ドラムのカンちゃん、ベースとよっちょ、ギターダイちゃんがそれぞれ《音の引き出し》を持っていて、
曲を作る時はそこからアイデアを出して行ってるのだ。
僕が曲を持って行く時、
ある程度「ここのベースはこうで、ドラムはこうで、ギターもここだけはこうしてほしい」
という希望がある。
それ以外は思うがままに出してもらう、
ある意味投げやりであり、適当であり、しかし自由だ。
そこからダイちゃんの《引き出し》がなくなるのは本当に痛い。
その《引出し》は、とても『僕好み』の《引き出し》だったから。
性格的というか相性的に、そして年齢的にも文句が付けやすかった(笑)。
果たして僕らの音はどういう感じになって行くのだろうか。
期待とか不安とか色々だ。
完
みんなでああでもないこうでもないと試行錯誤してアレンジして行くというスタイルだ。
だから僕なんてコード(和音)進行と歌のメロディ(歌メロ)を持って行くだけだ。
歌いたいメロディを持って行けば、みんながアレンジしてくれる。
ああ、なんて楽なんでしょ(笑)
一人じゃ素晴らしい曲を作るのは難しいような気がする。
正直、僕が書いたコード進行とメロディなんて自分が行きたい所に行くだけだし、
そのまんまだととってもつまらないものな気がする。
自分特有の癖があるから。
新鮮さにかける!
つまらん!
最近、【サヨナラ】という曲が人気だ。
昔から、好きだと言ってくれる人が多かったけど、
最近特に対バンの方から支持があったりするから嬉しい。
同じ音楽をやってる人に受け入れられるって心強いものだ。
【サヨナラ】は元々、ダイちゃんが持ってきたコード進行に、
当時僕の頭の中にずっと流れていたメロディが見事にハマったのだった。
かつ、そのコード進行に釣られて新しいメロディが生まれる。
これって、結構すごいって思った。
だって、このコード進行って、僕からは出て来ないものだから。
自分の歌がこういう感じで行きたいからって、
コード進行をいじる。
混ざり始めた音。
コード進行を変え過ぎてダイちゃん色が消えてしまわぬように、
何気に気を使ってみた(笑)。
いや、僕何気に結構みんなを尊重するんですよ。
僕が歌いたいメロディを歌うように、
メンバーだって気持ち良い音出してプレイしてもらうのがやっぱり理想だ。
なるべくストレスは持ってもらいたくない。
バンドってのは本当にバランスが重要だ。
なんとなく担当が決まっていたり(曲作り、営業、清算、フライヤー作り etc...)
性格的なものとか、曲とか、バンドスタイルにみんなのカラーが融合して出来上がってく。
ドラムのカンちゃん、ベースとよっちょ、ギターダイちゃんがそれぞれ《音の引き出し》を持っていて、
曲を作る時はそこからアイデアを出して行ってるのだ。
僕が曲を持って行く時、
ある程度「ここのベースはこうで、ドラムはこうで、ギターもここだけはこうしてほしい」
という希望がある。
それ以外は思うがままに出してもらう、
ある意味投げやりであり、適当であり、しかし自由だ。
そこからダイちゃんの《引き出し》がなくなるのは本当に痛い。
その《引出し》は、とても『僕好み』の《引き出し》だったから。
性格的というか相性的に、そして年齢的にも文句が付けやすかった(笑)。
果たして僕らの音はどういう感じになって行くのだろうか。
期待とか不安とか色々だ。
完
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